じどうそうだんじょぐらし!
今日の更新はハンター×ハンターの旅団ちんぽ考察の最終章!ではなく、たまには昔を思い出してなんか書いてみようかな、と思い児童相談所について書いてみることにした。
めちゃくちゃ長いので暇で暇でしょうがない人が読むのにちょうどいいと思う。
7000文字とかあるの自分でもおかしいと思ってます。反省してる。
児童相談所って知ってるか?
児童相談所っていうのは、虐待されてるとかで親元で生活させることに難がある児童、非行などの問題行動で一時的に隔離する必要がある児童、なんらかの理由で急に親がいなくなったとかで保護者がいなくなってしまった児童、とかまぁとりあえず何らかの問題を抱えた子供たちが集団生活をする施設のことである。
詳しくは私も知らんからググってくれ。
私はそんなよくわからない施設、「児童相談所」に50日ほど入っていたことがある。
別に「昔はワルだったんだぜェwカッコいいだろwww」とかそういうのではないしまぁ家庭に問題があったんだなぁとでも思っといてほしい。
そして今日は普通に生きてきた人はまず知ることがないであろう児童相談所の生活について書いてみようと思う!
なぜ突然?というのも今日から9月。児童相談所に入っていたのは丁度9年前の今日なのだ。
うん、キリが悪い!来年書けよって感じだけど思い出してしまったので今日書くことにする。
では早速本題に入ろう。
私が入った児童相談所は東京タワーが見える東京のど真ん中で、足を踏み入れたときはどんな場所なんだろうと不安があった。
学童クラブ(通ってなかった人は想像しにくいと思うけど)のような雰囲気で生活する場所は男子と女子で分かれている。
基本的に男子と関わることはほぼ100%なく、食事のときだけ食堂で同じ空間で時間を過ごす。
児童相談所にはルールがあり、これを破るとなんと呼ぶかは忘れたが「問題児」として特別な生活を強いられることとなる。
ちなみに私はしっかりとルールを破り、しっかりと特別な生活もやってきたのでこれについては後で詳しく書くことにする。
ルールその1・共同生活は4~6人で1部屋で過ごすが不必要な私語は原則禁止。特に「個人情報の交換」「なぜ自分がここに来たか」を話すことは厳禁。
ルールその2・男子との接触は厳禁。一言も喋ってはいけない。アイコンタクトなども禁止。
ルールその3・共同生活の和を著しく乱す行動をしない。
ルールその4・脱走したり脱走を試みたりしない。
上記が基本的なルールである。
小さいルールとしては髪が肩につく人は必ず結ぶこと、とかがあった。
1つ結びでも2つ結びでもいいけどみつあみとか耳より高い位置で結ぶのは禁止だった。
刃物がないからまず不可能なんだけど、眉毛とか腕毛とかすね毛を剃るのも禁止。
まぁつまりオシャレとか可愛くしようみたいな感情は一切捨てろ、というわけだ。
すね毛とか眉毛とかボーボーでゴリラみたいな女とかいて普通にウケた。
説明を一通り聞いてから自分の生活する部屋に通される。
「今日から一緒に生活してもらうクソDさんです」と言われ「よろしくお願いします」とだけ挨拶をさせられる。
当時は前略プロフィール(死語?)とかが流行ってたし退所後の接触とかを防ぐために下の名前だけで呼ばれる。
ちなみに番号とかも与えられる。ここは刑務所かよ。
言い忘れたが、入所後は素っ裸にさせられて持っていた装備やアイテムはすべて没収される。
そして福祉バンクみたいなところで寄付させられたであろう見るからに小学校の特別学級の子達が着てたような洋服を与えられる。
下着はブラは中古品、パンツのみ新品を貰える。後ろに番号がマーカーで書かれており、洗濯が終わった洋服はカゴに入れられていてその中から自分の番号の洋服を探して着ろ、というシステムである。
ブラに関しては「何カップ?」と直球に聞かれ、当時クソガキだった私は1カップサバを読み、カパカパのブラジャーを50日間身につけることとなった。死ねよ。
ブラといえば、私が共同生活をした部屋にはめちゃくちゃオドオドしてるけどなんか動きがすばやくておかしな子がいて、その子は見た感じ小学4年生くらいの子だったと思う。多分虐待かなんかされてた子かな。
その子は身体が成長しているようで、普通にBカップ近くありそうだったのにおそらく年齢で判断されてブラが与えてもらえずいつもおっぱいが揺れてたり乳首の場所が分かってたりしてとても可哀想だった。
きっと「ブラ付けたいんですけど」とか言えなかったんだろうな。そりゃ年頃だもん、気まずいよな。
それに比べて乳のサイズのサバ読んで案の定後悔する私、情けなすぎるだろ。
9年前の私!お前ちゃんとHカップになるから!!サバとか読む必要ないから!大丈夫だから!!と声を掛けてあげたい。
話がめちゃくちゃ逸れてしまったが、1日の流れについて書いていこう。
起床は朝6時。6時半だったかも。とにかく寝坊は許されない。
カーテンが開けられた外の景色には東京タワーが見える。
親と遊びに行った過去が嘘のように思える。目の前に東京タワーが見えて、ここは間違いなく東京だと分かっているのに全く別の世界のように感じる。
きっと自分の意思で出るのは不可能で、脱出防止のきつい施錠とか飛び降りでの脱出防止のための網がそこら中の窓から見えてるからだろうな。
毎日起きると碇シンジくんのような気持ちになる(知らない天井)(そんな気楽なこと言ってる場合ではない)。
まずはパジャマから普段着に着替える。ファッションセンスとかいう概念とかもないんだしこんな着替えいらないだろ、と毎日思っていた。
検温も毎日あった。ここで熱がちょっとでもあると寝てても許されるし遅れてご飯を食べてまた寝て~と最強の生活が許可された。
私が小学生の時に身につけた「布団の中で足ピンオナニーしまくってめちゃ熱くなって38度の熱を出し早退する」という技を使おうと何度も思ったが、流石に小学校の保健室の区切られたベッドとは違うので不可能だった。
1度37度くらいの微熱が本当に出て1日中寝てたことがあったが、ただただ暇で、悪いことばかり考えてしまい、正直普通に活動させられるのと同じくらいの辛さだった。
話を戻し、着替えの後の流れ。
30分与えられてそれぞれ着替えて顔洗ったり髪結んだり。
そして掃除。役割は特に決まってないけど自然とみんないつも同じ担当をする。
私はホウキでの床掃除を積極的にやっていた。なぜなら1番「ちゃんと掃除してる風」を装うのが簡単な作業だと思ったからだ。
次に朝食。朝食は廊下に全員並んで児童相談所の先生?に引率されみんなで食堂に向かう。
ご飯だけが唯一の喜びだったのでおかわりしまくって退所時には6kg増量することとなった。
食後はまたみんな並んでから部屋に戻って歯磨き、そして魔の勉強タイムだ。
3時間だか3時間半だか各自勉強させられる。
児童相談所に通っている間は許可なく外出することは許されないし、勿論学校にも通わないのでこういった勉強の時間がとても重要視される。
自分の学年の学習ドリルみたいなのを選んで勉強するのだが、章が終わるたびに先生に見せなきゃいけないので面倒だった。
ちなみに私は入所20日目くらいに勉強タイム中(クッソ静か。静寂なる空間)にバカデカい音の屁をこき、その場で舌を噛んで自殺しようとしたことがある。
私語は禁止だし悪口とか嘲笑とかもルール違反に繋がるので勿論誰もそんなことはしない。
「うわ!あいつデッケェおならした!!!!」とその空間にいた誰もが同じことを思っていたと思う。本当に悲しい気持ちになった。
あと勉強タイムといえば、私が元々通っていた中学校の定期考査と丁度時期が被っていたため私だけ特別許可が下り、定期考査の勉強として私物の教科書やノートが送られてきた。
試験の日にはちゃんと定期考査の問題と答案も送られてきたため、私は児童相談所でテストを受けることとなった。
ちなみに数学は2点、理科は0点だったことがとても印象的だ。
私は一体何を勉強していたんだ。
勉強タイムの後はまたお昼ご飯を食べにみんなで並んで食堂に向かう。
お昼の後は歯磨きをする。
そしてまた勉強。
2時間半くらい勉強をしてから今度は運動。
運動と言っても体育館をただ走り続けるだけ。30分走り続けなければいけない。
専ら短距離派だった私はこの時間が本当に辛かった。
喘息持ちなのを良いことに何度発作が起きる直前みたいなフリをしてサボったか数知れない。
ちなみに運動は毎日じゃなくて3日に1回くらい。あとの日はレク的な感じで外部から歯磨きを教えに講師みたいなのが来たり、身体測定とか健康診断とかしたり。
運動の後はお風呂。なんとお風呂は毎日入らせてもらえず、2日に1回とかだった。
しかも1人5分で先生が見張っている。
オシャレみたいな概念が一切ないのでシャンプーとコンディショナーもなしでボディソープのみで全身+顔+頭を洗わなきゃいけなくて本当に最低だった。
お風呂上がるころにはもう夕方とかになっててすぐに夕飯を食べさせられる。
夕飯が終わると1日に平和が訪れ、やっと心が落ち着く生活ができる。
というのも、夕飯の後は自由時間というものがあり、1時間だか1時間半だか好きなことが出来るのだ。
好きなこと、とは言っても「白い紙にボールペンで絵を描く」「読書」「勉強」「音楽を聞く」の中から何かを選ばなくてはいけない。
1日に選べるのは1つのみで「絵を描いてから飽きたので読書します」みたいなのは許されていない。
なので1日に出来ることは1つだけ。シュミレーションゲームか。
一つ目の「お絵かき」だが、紙は1枚しか貰えず1時間だと紙が足りなくなってしまう。
あとシャーペンとかえんぴつとか消せるようなものだと何か悪いことを書かれた時に残らないからボールペンなんだと思った。
書き終わったら紙ごと先生に渡さないといけないので自分が書いた絵を見られるのが恥ずかしくて2回くらいしか自由時間にお絵かきをしたことはない。
「読書」はその名の通りで棚から選んだり図書館で借りてきた(後述)本を読むことが出来る。1時間というのは丁度良い時間で読書はかなり心を休める良い時間を過ごす材料となった。
「勉強」はいつも勉強タイムにやっているドリルをやったりすることができる。私の頭は正常なので、自由時間に勉強を選択したことは1度もない。
「音楽を聞く」というのはカゴの中から20枚くらいある音楽CDを1枚だけ選んでから1人に1つずつCDプレイヤーが貸与される。あとヘッドフォン。
これで勝手に聞いてろというわけだ。1時間ずっと。
カゴの中のラインナップは私の趣味のものが全くと言っていいほどなく、唯一知ってたのが当時大ブームだった「ORANGERANGE」だ。
その中でも有名曲が多い「musiQ」という偉大なアルバムが私は大好きで、毎日自由時間にはこのアルバムを聞いていた。
今でもこのアルバムは大好きで、たまに聞くととても懐かしい気持ちになる。
たまによくわからんCDを借りていたことがあったのだが、手に取った一青窈だかのCDがまさかのシングルで2曲+カラオケバージョン(歌詞なし)バージョンを1時間聞き続けることになった日を境に、マジでオレンジレンジのアルバムしか聞かなくなった。
1時間一青窈の2曲だけを聴き続けるの、普通に修行だった。
自由時間の後は先生のお話タイムというものだった。
要は、「偉大な先生からありがたい言葉を頂戴しましょう!!」という時間だ。
そのあと日記の時間がある。
この日記には基本的に「今日何をしたか」ということは書かず(というか先生たちはそんなん日記に書かれなくてもわかってるし)「今日は何を感じたか」ということを書く。
私はこういう「良い子ぶることが可能」な作業が本当に得意で、いつもみんなの前で「クソDさんの日記は毎日素晴らしいです」と褒められていたのでこの時間は好きだった。
というかこういう経験のせいで大人って舐められると思うんだけども。
子供に「思ったとおりになる」とか思われてる時点で児童相談所に勤める器じゃないでしょ。
そんなこんなで1日は終了。
日記の後は布団を敷いて各自寝床に入る。
そしてまた1日が始まるというわけだ。
1日の流れはこんな感じで、特別生活についてもちょっと書こうと思う。
「ルールを破る」と特別生活をさせられると述べたが、私はルールの中の「共同生活をしている女の子に自分がなんでここに来たかを話す」という罪状で特別席への移動を命じられた。
これは、一緒に生活していた女の子2人と少しだけ仲良くなってしまい、結局自然と会話の流れで3人ともなぜここに来たかを話し合ったのを、共同生活部屋にいる冒頭で出てきたブラを与えてもらえなかったガキにチクられたからである。
ガキはウザかったし一生ブラなしで生活してろや、と思ったがルールを破ったのは事実なので大人しく従った。
特別生活にさせられてまず変わるのは勉強する場所が廊下に放り出されてカーテンみたいなので仕切られた勉強机になるということ。
あとはご飯のときなぜか壁に机を付けられて壁に向かって飯を食わなければいけないということ。
次に毎日40分走らされること。
あと隙間時間とか読書時間があった場合はひたすら漢字の練習をさせられる。
まずはそれぞれルールを破った状況を説明する作文と反省文を書かされてから特別席での勉強や意味分からんマラソンをさせられる。
漢字の練習については、私は文字を書くのがありえないくらい早くて速攻でノート1冊を終わらせたのだが、早すぎるゆえに手と机が書いた文字に擦れて真っ黒になり、そのことで無限に責められ続けてマジで意味わかんねえよ、となった。
しかし漢字練習をまじめにやったこと、反省文が素晴らしかったという理由で私だけ他の子よりも3日早く通常の生活に戻された。
特別席での生活は確か5~7日くらいだったと思う。
全く反省に繋がらない、「バカな大人が考えた措置」って言う感じだった。
漢字練習が罰のつもりなんだろうけど私にとって漢字練習はむしろ楽しい時間だったので。
あと後述すると言った図書館の話だけど、児童相談所では1週間に1回くらい外出の時間がある。
これは好きに遊んでいいということでは勿論なく、集団でどこかに出かける社会科見学のようなものに近い。
基本的には図書館に出かけた。
外出時に何が辛いかと言うと、マジで「私は障害者なんです!!!!」といわんばかりのスカーフを首に巻くことを命じられたことだった。
みんなでしまむらで3着990円、みたいな洋服を着て、バカ丸出しの首輪のようにスカーフを首に巻きつけ、気色の悪いダンロップみたいなスニーカーで歩かされるというわけだ。
図書館に行くと3冊好きな本を選んで借りられる。
本を選ぶ時間は決まっていて、時間内に3冊決めなければいけないのだが、当時痛いガキだった私は「児童性愛者ーペドファイル」とか「犯罪・非行の心理学」とか「殺さないでー児童虐待という犯罪」とかそういう本を3冊選んで持って行き、没収され私だけ1冊も借りられなかったということがあった。あれはウケた。今でもウケる。
児童相談所で読むのに相応しくないという理由で没収されたけど全然理由になってないと思うしこういう問題から目を逸らさせるから実際に児童相談所という場所が必要とされているんだろうよ、と思った。
あとは図書館のほかに、東京タワーにも行ったことがある。
東京タワーは観光スポットだ。最低な服装で集団行動させられて行く東京タワー、世界で1番最低な空間だったし高所恐怖症のフリして1人で違うところに座ってただただ時間が過ぎるのを待った記憶がある。
水族館にも行ったが水族館は元々好きだし薄暗いので最低な服装なのが分かりにくくてかなり良かった。
児童相談所の中で1番の思い出だ。
あとは親との面会時間があったりもする。
化粧もしてなければ眉毛も整えてない状態で親に面会するのは気が引けたが、元気そうな私を見た瞬間、いつも厳しい父親が大泣きしたことを今でもよく覚えている。
大人なんてバカだし死ねやとか思ってたけど「あ、親泣かせるのだけはダメだ」と本能で感じた瞬間だ。
児童相談所についてはこのくらいだ。
もう9年も前のことなのでうろ覚えの部分もあったが嘘はついてないし大体こんな感じだったと思う。
ちなみに退所するタイミングは突然伝えられる。
「ちょっとこっち来て」と先生に連れられいつも行かないフロアへ。
そして「今日で退所だから」と言われ50日前に没収された洋服や持ち物を渡され着替える。
児童相談所の駐車場には予め退所のタイミングを聞いていたであろう親が車で待機していた。
夕方だったことは覚えているがあまりにも外の空気が良くて、心から感動した。
「シャバの空気はうめぇぜ~~~w」とかは言わなかった。
車に乗り込み面会以来、久々に再会した父親に児童相談所に入る前に注文した詐偽まがいのダイエット商品についてお叱りを受け、恥ずかしい気持ちになった。
最後の最後だけど、児童相談所で全くリスペクトできない大人たちに囲まれ生活していた中で、唯一未だに心に残っている言葉をかけてくれた先生がいた。
その人は私が「高校なんて行きたくないし意味ない。多分行かないと思う」と言ったら「高校に行かないとかそういう生き方は自由だけど、18歳で高校1年生を過ごすチャンスは人生に1度しかないし、もう2度とないんだよ」と言った。
当たり前のことなんだけど、あー確かにって思った。
高校1年生になれば、また同い年の子達と同じスタートラインに立つことはできるなって思った。
その先生の言葉がきっかけで、私は全く行く気がなかった高校に入学することを決めた。
そして、半年も経たずに中退した。
おわり